後の祭り 2014 3 16
「Newsweek ニューズウィーク日本版 2014 3 18」には、このような記事があります。
ウクライナ危機に関して、最も驚くべきなのは、
関係者が、ことごとく戦略を誤ったことだ。
まず、ウクライナ議会に勇み足があった。
法律上の弾劾手続きを経ずに、
ヤヌコビッチ大統領を解任したことで、
ロシアのプーチン大統領が、
ウクライナの新指導部を「非合法」と非難し、
介入する口実を与えた。
(引用、以上)
民主主義国では、
大統領に、どんなに問題があっても、
「大統領弾劾」の手続きをしなければなりません。
これでは、ヤヌコビッチ氏が、
「私は、まだ大統領である」と言う口実を作ってしまったようなものです。
ロシアから見れば、
今のウクライナの暫定政府は、
「議会クーデタ」によって成立したと言うでしょう。
もちろん、ロシアにも問題があるでしょう。
「プーチンがクリミア半島に3万人のロシア兵を投入したのも、
無意味な行動だった。
すでに、この地域を事実上コントロールできていたからだ」
(引用、以上)
確かに、指摘するように、
これで、ウクライナ情勢に無関心だったはずの欧米の反発を招いたのは、
間違いないところでしょう。
アメリカもロシアも、
振り上げた拳(こぶし)をどう降ろしてよいか困っているでしょう。
日本人ならば、こんな時は、国連が、何とかすべきであると思うでしょうが、
国連は、すでに「存在の耐えられない軽さ」になっていますので、
何の役にも立たないでしょう。
結局、不完全燃焼の「冷戦」が続くかもしれません。
存在の耐えられない軽さ The Unbearable Lightness of Being 2014 3 8
さて、安倍首相は困りましたね。
プーチン大統領と個人的な友好関係を築いてきたのに、
ロシアがクリミア半島で「実質的に軍事的な行動」を取ったことで、
国際社会は、ロシアに対して、制裁を発動しています。
さあ、どうする?
日本人ならば、「こんな時は、国連に動いてもらおう」と考えるのでしょうが、
きっと、この文章を読んで、初めて、
国連という存在があったことに気づくでしょう。
「そう言えば、国連という国際機関があったはずだ。
こんな時こそ、国連が仲介に乗り出すべきである」と思うかもしれません。
しかし、今や、
国連は、「存在の耐えられない軽さ」になってしまったのです。
そういうアメリカ映画がありました。
この映画の中で、テレサは、こう嘆くのです。
「私にとって人生は重いものなのに、あなたにとっては軽い。
私は、その軽さに耐えられない」
第二次世界大戦後、日本人にとって、
国連とは、「極めて重要な国際機関だ」と教えられてきましたが、
結局、何の役にも立たず、アメリカに頼るしかなかったのです。
要するに、日本人にとって、国連とは、
「存在の耐えられない軽さ」だったのです。
ちなみに、この映画は、
チェコスロバキアの「プラハの春」を題材にしたミラン・クンデラの小説を
映画化したものです。
「プラハの春」とは、アメリカ対ソ連の冷戦時代にあった、
チェコスロバキアの変革運動のことです。
(詳しくは、ウィキペディアを参照してください)